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    【静岡・沼津】奥和の干物の物語

    更新日:10月26日


    本当に美味しいひものとは、どのように作られるのか?

    奥和のひものを、子どもの頃から、35年近く食べ続けてきた。

    「よそのひものとはまったく違う」ことを、舌で知っていた。

    とは言うものの、その味の違いがどこから来るのか、全く知らなかった。

    そこで、現地に赴いた。


    宮城県で水揚げされたキンメダイのひもの 
    宮城県で水揚げされたキンメダイのひもの 

    沼津のとなり三島を流れる柿田川湧水、狩野川は、富士山の火山岩を通った雪溶水で、真夏でも冷たく清冽。この豊かな水系は黄瀬川と合流し、河口の沼津へとつながり、美味しい干物づくりにも欠かせない。
    沼津のとなり三島を流れる柿田川湧水、狩野川は、富士山の火山岩を通った雪溶水で、真夏でも冷たく清冽。この豊かな水系は黄瀬川と合流し、河口の沼津へとつながり、美味しい干物づくりにも欠かせない。

    2025年9月25日、朝8:40 JR品川駅の新幹線北口改札に集合。メンバーは14名ほど。

    品川から三島駅までは新幹線ひかりで約30分。そこから沼津へはひと駅。タクシーでおよそ10分。あっという間に工場に着いた。

    この東京から「あっという間」の距離が、沼津が歴史的に日本一のひもの産地へ成長した理由のひとつだと後で知る。

    富士山が近いことも美味しいひものの大前提にある
    富士山が近いことも美味しいひものの大前提にある

    まずは原料について。

    鯵は九州沖の対馬の海域で4月から6月に穫れた旬のものを、まる一年分競り落とす。

    「対馬201番海域のアジ、何トン」といった調子で九州の仲買人と電話でやり取りする。


    海図。漁場が升目で区切られている。
    海図。漁場が升目で区切られている。

    アジは沼津魚類協同組合の大きな冷凍庫で冷凍保存し、必要な分だけを解凍して大事に使う。

    毎年、鯵の旬の4-6月の対馬産にこだわる
    毎年、鯵の旬の4-6月の対馬産にこだわる
    ①原料の解凍(海に近い塩分のある井戸水を使うため、旨味が逃げない)➡旨さの秘訣
    ①原料の解凍(海に近い塩分のある井戸水を使うため、旨味が逃げない)➡旨さの秘訣

    摂氏0度近い塩分のある井戸水に空気を送り込み、魚を「はがす」
    摂氏0度近い塩分のある井戸水に空気を送り込み、魚を「はがす」
    人の手で慎重に一枚一枚の魚をはがす。冬はつらい作業だという。
    人の手で慎重に一枚一枚の魚をはがす。冬はつらい作業だという。
    ヤレ(不適格な魚)は、飼料や肥料にリサイクルされる。決して無駄にしない。
    ヤレ(不適格な魚)は、飼料や肥料にリサイクルされる。決して無駄にしない。
    半解凍され、ヤレ(不適格)を手でとり除いたあとの鯵。美しい。
    半解凍され、ヤレ(不適格)を手でとり除いたあとの鯵。美しい。
    ②魚をさばく (1日1万枚、10名で作業、手早い)
    ②魚をさばく (1日1万枚、10名で作業、手早い)
    ③塩水につける(3分から5分間)
    ③塩水につける(3分から5分間)

    塩分濃度は鯵は濃度15%前後、塩が効きやすい金目鯛やカマスなどの白身魚は13%前後。私たちが普段使っている沖縄の塩「しまマース」のにがりを含んだ美味しい塩と、富士山の伏流水でつくった塩水)を使う。


    魚の脂ののり具合で人が判断して調節する。塩水は上澄みを繰り返し使い、塩と水道水(富士山の伏流水)を足しながら一定の濃度を保つ。こうすることで微生物の働きが、タンパク質を旨味に変える。➡これも旨味となってあらわれる。


    ④井戸水(海水)で洗うことで余分な塩分が抜ける。
    井戸水(海水)で洗うことで余分な塩分が抜ける。

    さらに、塩を含んだ自然の井戸水の恵みのほかにも、

    沼津では富士山の伏流水=水道水という贅沢。それが美味しいひものにつながる。


    ⑤干す(一枚ずつ手で網にひろげ、1時間かけて涼風で乾かす)
    ⑤干す(一枚ずつ手で網にひろげ、1時間かけて涼風で乾かす)

    脂が光っていかにも美味しそう。
    脂が光っていかにも美味しそう。

    涼風乾燥室のなかの様子
    涼風乾燥室のなかの様子

    いわゆる市販品は、魚がくっついた状態でもかまわず熱風で15分程度の時短乾燥をしてしまうらしい。いわゆるタイパだ。奥和の場合は、時間をかけて1時間かけて涼風で干す。

    ➡ここが旨味のちがいになって大きな差がつく。

    湿度は20%前後、温度は摂氏28度に保たれている。これで約1時間乾燥。
    湿度は20%前後、温度は摂氏28度に保たれている。これで約1時間乾燥。
    ⑥冷凍する (マイナス20〜30度)冷凍庫で急速冷凍。
    ⑥冷凍する (マイナス20〜30度)冷凍庫で急速冷凍。
    完成したあじのひらき
    完成したあじのひらき
    ⑦計量、袋詰め(SサイズとMサイズを組み合わせることで無駄を出さない)
    ⑦計量、袋詰め(SサイズとMサイズを組み合わせることで無駄を出さない)

    ざっとこれだけ見ても、工程ごとの細部のこだわりが旨味につながっていることが分かる。


     沼津は富士山の伏流水を水道水とする豊かな水と、駿河湾の豊富な魚を活かして、平成元年に日本のひものの60%を生産する一大生産地となった。なぜそれが可能となったのか。奥村氏に質問した。


    奥和は明治創業のひもの専門加工会社。有限会社奥和 代表取締役:奥村太郎氏は五代目。
    奥和は明治創業のひもの専門加工会社。有限会社奥和 代表取締役:奥村太郎氏は五代目。

     すると、その秘密は鉄道と立地にあった。沼津港のすぐ側まで、引き込み線という貨物専用の線路があり、沼津漁港と築地は東海道線でつながっていた。いまは緑道となっている。


    河口の一番手前の橋につながる縦にのびる緑道が、かつての鉄道の引き込み線だ。
    河口の一番手前の橋につながる縦にのびる緑道が、かつての鉄道の引き込み線だ。

     奥村氏によると、前日に沼津で穫れた魚でつくったひものが、翌日には築地市場で競り落とされ、首都圏の大市場に流通していた。まだ冷蔵コンテナーや発泡スチロールなど無い時代に。それだけ沼津が築地市場に近かった。環境に優しいエコロジカルな鉄道による貨物輸送は世界中で見直されているが、明治から戦後高度経済成長期の手前まではそれが当たり前だった。

     

     筆者は2010年頃からつい昨年の2024年まで、築地場外市場で魚を買うのを週末の日課にしていた。それゆえ往時の築地市場のバイイング・パワー(物を集積する力、売りさばく力)のダイナミズムを目の当たりにした最後の世代だ。それは日本中の海の豊かさの粋を集めたような、偉大な光景だった。

     それが、市場の豊洲移転によってほとんど築地という土地から跡形もなく失われたことは言うまでもない。東京が失ったものの大きさを、いまさらながら沼津で思い知らされた。

     だが、嘆いてばかりいられない。われわれはそれでも食べていかなければならない。食べることで「本物」をつくる人を支える。それが生活クラブのコンセプトでもある。


     面白いことに、奥和と生活クラブの40年来のつきあいは、ひものから始まったつきあいではなく、なんと「ごみの分別」からはじまったご縁だと奥村氏は言う。

     どういうことかというと、日本でごみ問題が深刻化した高度経済成長期、もっとも早い時期に分別収集を始めた沼津。それは沼津方式と呼ばれ、全国でも画期的な取り組みを学びに訪れた、生活クラブ組合員の坪井さんという女性が、当時の井出俊彦市長と、奥和の先代社長と意気投合したのがはじまりなのだという。


     「本物のひものがないじゃないの」という痛烈な一言に、社長は一念発起、保存料などの食品添加物などを一切使わない、こだわりのひものづくりに立ち返ることを決心した。


    ひもののパッケージに記載された製造年月日から、漁場までトレサビリティができる。
    ひもののパッケージに記載された製造年月日から、漁場までトレサビリティができる。

     それから40年が過ぎ、現在では全生産量の6-7割が生活クラブの組合員に提供されるひものが生み出される。そのことによって、「本来の自分たちの仕事に立ち返ることができた」と奥村氏の言葉が印象的だった。


     奥村氏によると、従来のひもの業界はスーパーを前提とした「大量生産・大量消費・安く提供すること」が至上命題だった。「ひもの2枚で1パック(発泡スチロールのトレイ)で298円で売れる商品を作れ」とスーパーに言われたら、それに抗う方法などない。すると、包材や人件費を除いた残った卸値のなかで、一体どんな魚が原料になるのか。

     こうした過当競争に巻き込まれ、最盛期に350軒もあった沼津のひもの工場はいまでは数十軒まで減ってしまった。


     つまり日本のひもの文化を破壊してきたのは、「安いことにしか価値を見出さない消費者」だと言える。旅館の朝ごはんなどに出てくる鯵のひものが(筆者からみると)あまり美味しくないのも、おそらくそのような価格ありきの市販品の延長線にあるのだろう。


     それに対し、生活クラブは原価の「積み上げ式」に変えた。「こういう品質のひものを作って欲しい」という要望がまず第一にあり、それに必要な原価を積み上げていく。そして組合員の「予約注文」で年間を通じて安定して販売できることから、一年分の原料を確保できるようになる。それらが「量から質」への転換を果たす上で欠かせなかったと奥村氏はいう。


     その見返りに、われわれは一年を通じて新鮮で美味しく安全なひものが食べられる。沼津のタクシー運転手は、アンテナショップとレストランの和作へ行くと告げると「高級ひもの店ですね」と言った。その「高級」が地元でも「スタンダード」になってほしいと思う。


     私たちがそうした本物のひものを日常的にいただくことができるのは、40年の信頼関係の賜物だ。「それがなかったら、今頃会社は廃業していたかもしれない」と奥村氏は言う。


     沼津のひもの産業全体がこれからどうなっていくのか筆者にはまだ分からない。だが地域を牽引するリーダーがひとりいれば、それに追いつけ追いこせと地域は徐々に変わっていく。その意味でも奥和と奥村家の役割は大きいのではなかろうか。


     直営店の「和助」で美味しいひものランチをいただきながら、沼津の自然の豊かさを感じる充実した旅だった。


    ひものが選べるランチ。奥は鯖スパイス干し(追加注文)手前はキンメダイ。いずれも美味。
    ひものが選べるランチ。奥は鯖スパイス干し(追加注文)手前はキンメダイ。いずれも美味。

    「和作」という名前は、明治の創業者の奥村和作さんにちなんでいる。
    「和作」という名前は、明治の創業者の奥村和作さんにちなんでいる。

    (この取材は私も組合員である生活クラブまち港の自主企画に参加させていただいた。奥和のみなさん、幹事のFさん、Kさん、他の皆様にも大変お世話になり、ありがとうございました。)

     
     
     

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