2024年10月17日から20日の4日間、福岡大名ガーデンシティにて、「ジャパン・ピッツァ・フェスティバル2024」が開催された。このイベントは、今年で3回目のイタリア大使館公認イベントとなる。大名ガーデンシティに移転する前は、福岡JR博多駅前で行っていた。主催はラヴエフエム国際放送株式会社ほか数社スポンサーからなるイベント実行委員会である。筆者は開会式およびガエターノ氏の追悼セレモニーの通訳として参加した。
総合プロデューサーの舌間智英氏 ㈱アエナリア代表取締役社長。以下、愛称トミー)の開会挨拶では、すべての方々への感謝とともに、福岡という都市が、日本で人口あたりのイタリア料理の軒数がもっとも多いことが紹介された。会場でも、ナポリ・ピッツァのみならず、イタリア郷土料理の専門店によるブースが6店舗出店し、いろどりを添えており、また、福岡特産の黒いちじく「とよみつひめ」をはじめとして、福岡の個性豊かな農産品、魚介類を、イタリア料理の技術によって、その魅力を再発見してほしいと語った。
開会挨拶のあと、主賓として、在日イタリア大使館の農業・食糧アタッシェ(担当)、アンナ・イエーレ氏(Anna Iele)による来賓スピーチがあった。
氏のスピーチの中で、ナポリ・ピッツァがユネスコ無形文化遺産に選ばれただけではなく、その歴史は、古代ローマ時代のポンペイ遺跡のフレスコ画にも遡れるという。確かに写真で見ると、現代のわれわれが食べているものとそっくりな色、かたち、ふちの高さ、トッピングまで、瓜二つで驚きである。このニュースは本国イタリアだけではなく、世界中で話題の的となっている。
ポンペイ遺跡で発見されたピッツァのフレスコ画 photo (c) Archaeological Park of Pompeii
左端の絵は、約2000年前のピッツァか? photo (c) Archaeological Park of Pompeii
なお、2024年は、真のナポリピッツァ協会の設立40周年という節目の年であり、その祝賀も兼ねていた。ナポリからも協会関係者が数名来日したが、その創設者のひとり、故ガエターノ・ファツィオ氏の姿はなかった。氏は昨年のジャパン・ピッツァ・フェスティバル2023のため来日し、帰国したあと急逝したからだ。
そのため、トミーとアンナの両名のスピーチでも、ガエターノ氏への哀悼とともに、 氏が、イタリア共和国勲章カヴァリエレを叙勲したことなどの来歴も改めて顕彰された。
およそ40年超、ガエターノ氏は日本の100名を超えるピッツァ職人(ピッツァイオーロ)たちに惜しみなく技術を伝授し、その弟子たちが日本のナポリピッツァ文化の中心にいる。数多くの弟子のなかで、最も長くイスキア島で修行をしたのがトミーであり、その屋号、ダ・ガエターノの5代目ガエターノ氏に継ぐ6代目を2023年のこのイベントのセレモニーでトミーに継承したのも記憶に新しい。
今回、全国から参加されたピッツァ職人のみなさんは全員、ガエターノ氏の肖像を意匠化したおそろいのTシャツを着用した。和歌山市から参加した、『イル・リトロボ』岡崎祥幸シェフもそのひとり。イタリアで技術を磨き、福岡の『ダ・ガエターノ』を経て、現在は和歌山市で独立している。
この日は音楽も愛したガエターノ氏のために、素晴らしい生演奏が捧げられた。
ガエターノ氏追悼のための演奏者は、バーリ国立音楽院卒業のアコーディオン奏者、木下隆也(きのした・りゅうや)氏と、イタリアはパドヴァで学ばれた、ヴァイオリニストの太田圭亮(おおた・けいすけ)氏である。ふたりは、バジリカータ州の依頼で世界遺産マテーラの石窟で演奏をしたこともある、日本におけるイタリア音楽のホープである。アコーディオンのことを、イタリア語ではフィサルモニカという。「調和を操る」、という意味と推察するが、なかなかに含蓄と的を得た響きである。フィサルモニカの95%はイタリア製であるということを、のちほど木下氏から聞いた。(残りの5%は中国製だそうだ)
イタリアのアルティジャナーレ(職人の技)の楽器なのだ。
楽曲はつぎの三曲。いずれも技巧は洗練され、哀愁があり、心に染み入る演奏だった。
1. ジュゼッペ・タルティーニ作曲『ラルゴ・カンタービレ』
2. リシャール・ガリアーノ作曲『クロードのタンゴ』
3. 葉加瀬太郎作曲 『情熱大陸』
開会セレモニーの最後に献杯の儀式があり、ガエターノ・ファツィオ氏の追悼セレモニーはつつがなく終わった。
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