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執筆者の写真FUSAKO SAKURAI

【出張講義レポート】『風景を味わう ~グラスの中のイタリアと猪口の中の日本~』@シエナ外国人大学

更新日:2024年12月29日

奇しくも、このブログを書いているきょう2024年12月5日、日本の麹を使った日本酒、焼酎、泡盛を含む『伝統的酒造り』がユネスコ無形文化遺産に登録された。日本酒は1970年のピークから三分の一まで生産量が減っているが、この事実と、これから先、日本酒文化が維持されるかどうかは、次世代に正しくその社会的意義が伝わるかどうかにかかっている。


大学構内に掲示されたポスター

2024年11月27日、イタリアはトスカーナのシエナ外国人大学にて、『風景を味わう グラスの中のイタリアと猪口の中の日本』と題して、外部招聘講師としてイタリアのワイン文化と日本の酒文化の比較に関する講義をする機会をいただいた。


タイトルの『風景を味わう』とは、私が4年間で61人を超えるイタリアの第一線で活躍するインフォーマントの話を聞き続け、今回新たにフィールド調査を行った長野県佐久市のSAKU13の橘倉酒造とKURABITO STAYの取材を通じて、両者の比較を行ったなかで、最後にぼんやりと脳裏に浮かんできたフレーズだ。


私たちは、消費者として、誰かが作物を育て、作ってくれた、いわば成果としてのワインやオリーブオイル、その他の農産品を飲み、食べる。だが、その農産品の生産に関わる人びとは、多かれ少なかれ、それが生み出される地域の風景、自然環境、地域の伝統文化、それらを保護する小さなガーディアン(守護者)の役割を担っている。


だから、そうした小さな生産者のつくるワインやオリーブオイル、あるいは日本酒を飲み続けることは、そうした風景や伝統文化を守ることに、直接的・間接的に協力することにつながる。さもなければ、いずれは廃れて、消えゆく文化なのだ。


いま、世界的には、若者のアルコール離れは顕著である。もはや誰もそれを止めることはできないのかもしれない。けれども、TVCMなどに代表されるマス・マーケティングが支配する、大規模で工業的なアルコール業界とは異なり、地域に生きる人間の介在した、ワインや日本酒の、小さくとも美しい世界がある。そのことを、若い学生さんたちに、どうしても知ってほしかった。

『なぜ、私はイタリアワイン文化講座を始めるに至ったのか?』photo (c)2024 Fusako Sakurai

『農業はなぜこれからますます重要になるのか?』

photo (c)2024 Fusako Sakurai


前段として、 昨年11月のローマ伊日財団のウンベルト・アニエッリ賞の受賞理由のひとつとなった『イタリアワイン文化講座』を立ち上げるまでの長い軌跡についてお話した。 そもそも、なぜ自分がイタリアワインの世界に魅せられ、その探究を始めることになったのか?という理由だ。そして、私の専門の社会学の社会調査のフィールドワークの手法の説明。学生時代と社会人時代に大事にしてきたこと。それらの実際の経験に基づくエピソードを交えながら、3時間という短い時間で、このふたつの国の酒の比較文化について話すこととなった。

『社会調査のフィールドワークの手法とはなにか?』

photo (c)2024 Fusako Sakurai


たとえば、イタリアでもっとも普及している黒葡萄、サンジョベーゼ種が、130種類ものクローンが存在すること。そのサンジョベーゼ種が、ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノと、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノではどのように異なる文脈で語られるか?を例に、コントゥッチ伯爵家の事例と、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノのコンソルツィオの成立過程をみながら、両者の比較を行った。


『サンジョベーゼの多様性:ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノの事例』

photo (c)2024 Fusako Sakurai

『トスカーナのふたつのコンソルツィオの成立過程と意義』photo (c)2024 Fusako Sakurai


さらに、トスカーナとは全く異なる風景を求めて、ラツィオ州ポンツァ島のアンティーケ・カンティーネ・ミリアッチョの想像を絶する急勾配の棚田(テラッツァメント)など、イタリアのなかだけでも、地理的、生物学的、文化的多様性について、そしてその唯一無二の風景を守ろうとする人びとの努力を紹介した。


『ラツィオ州ポンツァ島Antiche Cantine Migliaccio のLuciana Sabino, Emanuele Vittorio 夫妻の耕作放棄された農地の再生事例』photo (c)2024 Fusako Sakurai


日本の場合は、長野県佐久市の13の酒蔵が横でネットワーク化した、「SAKU13」のリーダー的な存在、橘倉酒造の井出平社長と、酒蔵での滞在型ツーリズムで酒造り体験を提供するKURABITO STAYを主宰する田澤麻里香社長へのインタビューを食い入るように見つめていたのが印象的だった。


さらに、KURABITO STAYの蔵人体験の冒頭で行われるお祓い・お神酒による清めの儀式をとりおこなってくださった新海三社神社が、映画監督の新海誠監督のご生家でもあり、彼のアニメーションに登場する風景が、佐久の原風景と重なるあたりで、シエナ外国人大学の学生さんたちの眼の色が明らかに変わった。日本酒と、それが生まれる風景と、日本が誇るエンターテインメントがつながった瞬間だ。

 

  当初は質疑応答を含めて4時間と聞いていたので、それ相応に200枚超のスライドを用意してきたが、ふたを開けてみたら一時間短くなっている。一瞬、心臓がキュっと痛くなったが、このくらいはイタリアでは常のことだから、思い切って大幅に割愛し、なんとか学生さんたちの帰りの電車のギリギリの時間内で話切ることができたと思う。

SAKU13のリーダー的存在、長野県佐久市の橘倉酒造の井出平社長のVTRの前で記念撮影

photo (c)2024 Fusako Sakurai


遅い時間、最後まで聴講してくれた学生さんたちに感謝。


葡萄の果汁(モスト)から成るワインに対し、米と麹と酵母と水からなる日本酒は、二種類の異なる発酵(麹による糖化と、酵母によるアルコール化が同時に進行するので、平行複発酵という)が必要であることを理解してもらうため、麹づくりの工程の説明と、麹を100パーセント使った佐久の甘酒を試飲してもらうことで、味覚を通じて理解してもらうことをねらいとした。だが、終了後の質問で、「ワインの場合はどこから酵母を得るのか?」という質問を聞かれたので、葡萄の果皮そのものにある酵母や、醸造施設のなかに常在する酵母、(人口酵母もたくさんあるが)それらによって、葡萄をつぶした先から自然に醸すことができる。ということをもう一度説明した。



つまり、私が想像していた以上に、イタリアの若い人が、ワインがどのようにつくられるかということ自体を、あまり知らない人が多いのだ、という事実を突きつけられた。それは、翻ってみれば、日本人が、日本酒を知らず、日本酒がどのようにできるかあまり良く知らないのと同じだ。外国人の眼を通じて、自国の文化の価値を再発見し、再評価する。海外の文化交流の最も重要なのは、そこにあるのではないだろうか。


しかし、こうして丁寧に紐解いていけば、イタリアのワインや、日本の酒ほど、面白い世界はないということを、少しのぞき見してもらえたのではないかと思う。終了後、ある日本語専攻の博士課程の女性が、目を輝かせながら「わたしも日本語とイタリアワインのソムリエの勉強を続けていますが、日本に行ったらどんな仕事がありますか?」とたずねくれたのが嬉しかった。


私見にすぎないが、日本では、モーダ(ファッション)とエノガストロノミアが現在、非常に近いところにあるので、まずはそこにチャンスを見つけて潜り込み、日本での生活基盤を作る。そこからさらに努力を続ければ、いずれ輸入商社やイタリア企業や公的機関への道もひらけるであろうことを話した。どのくらい参考になるかわからないが、彼女が銀座や丸の内のアルマーニやグッチやブルガリにいたら・・・、そしてゆくゆくは日本の地方の魅力を発信できる人になってほしい・・・想像するだけでも、とても楽しみだ。


「学部の一年生から、博士過程の方まで、大変な興味を持って聴講してくれたことに感謝。」photo (c)2024 Fusako Sakurai


今回、この講義を実現するにあたり、イタリア語とイタリア文化の普及を推進するCESIMの助成をいただいた。最後に、今回このような機会を提供してくださった、シエナ外国人大学の先生方、とりわけ企画の当初から、さまざまな面でアドバイスを賜ったMaria Gioia Vienna教授、そして事務局スタッフのみなさま、さらに取材に応じてくださったイタリアの優れたワイン生産者、そして日本酒の生産者のみなさまに、あらためて感謝を申し上げたい。


非常に限られた時間であったが、また別の機会があれば、異なるイタリア・日本のフィールドについて取材、分析し、アカデミックな場において解説してみたい。





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